蛋白研60周年記念祝賀会にて永井同窓会長からご祝辞をいただきました。蛋白質研究所のこれまでの経緯に関して多くのことをお話しいただきました。ぜひ皆様にも蛋白研の歴史を知っていただきたく、永井先生のご承諾を得てここに全文を掲載させていただきます。

永井克也同窓会長のご祝辞

ご紹介いただきました永井克也です。

大阪大学蛋白質研究所創立60周年、おめでとうございます。

お祝の言葉として何をお話すれば良いか、迷いましたが、私の蛋白研在籍時代の、時々で私が感じました雰囲気と私の研究についてお話しして、お祝いの言葉とさせて頂こうと存じます。

「生命の起源研究の世界的権威」である赤堀四郎先生のご努力で学術会議の決議のもとに蛋白質研究所は全国の共同利用研究所として1958年に設立されました。最初は大阪大学理学部から赤堀研と伊勢村寿三研の2講座と医学部から須田正巳研の1講座の合計3講座として発足しました。

私が大学に入学した1961年の大阪大学総長は赤堀四郎先生で、先生の講話の静かな語りの中に学問に対する熱い情熱を感じました。1968年に医学研究科の院生として須田正巳先生の研究室(代謝部門)で私は研究を始めました。当時は酵素の研究が盛んで、私はラットの肝臓の糖新生律速酵素PEPCKの活性を毎日朝から晩まで掛かって測定しておりました。この酵素の活性に日周リズムがあり、その調節には自律神経が関与することから、須田先生の「丸ごとの生化学」という概念で行動のモニターも含めた体内時計と自律神経による代謝調節の研究に邁進することになりました。隣の研究室にはPEPCKの発見者Utterと共同研究されていた倉橋潔教授が居られ、下の階にはP450の発見者佐藤了教授、触媒化学の泉美治教授、X線結晶解析法により蛋白質の結晶構造解析に日本で初めて成功された角戸正夫教授、酵素化学の成田耕造教授、キニン系の蛋白化学の鈴木友二教授、細胞増殖因子研究の堀尾武一教授など個性の強い教授方が揃って居られました。勉強不足の私はよく事情が分からず、ただただ実験を行っておりました。米国留学と愛媛大学での勤務の後、中川八郎教授の主催される代謝部門の助教授として蛋白研に戻って来た私は教授会に出席するようになって初めて、蛋白質研究所の全体としての事情が少しずつ、明らかになり、私が直接ご指導を受けた中川八郎先生以外に勝部幸輝先生、崎山文夫先生、京極好正先生、高木俊夫先生、藤井節朗先生、御子柴克彦先生、浅野朗先生、下西康嗣先生などにご指導を賜りました。小さな部局故、毎年12月の研究討論会は喧々諤々たるものがあり、忘年会にまでその議論が続く活気溢れるものでした。2000年からは4年間所長を務めさせて頂きましたが、その際は阿久津秀雄、月原冨武、相本三郎、長谷俊治、畠中寛、中村春木、中川敦史、関口清俊、田島正二、吉川和明、後藤祐児、高尾敏文、高木淳一、などの諸先生方に大変お世話になりましたし、小さな部局なので事務の方々にも大変ご協力を頂き、ここに感謝申し上げます。マンチェスター大学、北京大学,精華大学、ソウル大学、延世大学などとの交流も行いましたが、延世大学を4名の教授と訪れていた折に、蛋白研に研究に来られていた島津製作所の田中耕一先生のノーベル賞受賞の報が入ったことも覚えております。その後、京都のホテルであった祝賀会の折にお祝いを申し上げたところ、田中先生から「蛋白研でもっと研究したかった」というお言葉をいただきました。共同利用研究所長会議では蛋白研が古顔だったせいか、生物部会長をさせられ、当時の東大医科学研の新井所長には様々な会合によく呼び出されたことも思い出します。

大学院重点化を契機として蛋白質研究所の院生も急増し、予算を頂いたこともあり、岡田雅人現微生物病研究所副所長や奥村宣明准教授などの協力で遺伝子技術を駆使して、概日リズムの体内時計機構に関わる遺伝子、蛋白質の同定を行いました。Drosophilaでの体内時計に関連する突然変異periodに関する研究を手掛かりとして2017年ノーベル医学生理学賞を受賞したRosbash、HallやYoungらにより体内時計の分子メカニズムの大枠が決まりましたが、蛋白質Periodが核移行するのに必要なカゼインキナーゼによるリン酸化部位の同定や光による時計の同調に関る蛋白質をBIT/SHIPS1と同定して、この蛋白質は時計の同調のみならず、光照射による交感神経促進作用にも関与することも認めました。体内時計の存在部位(視床下部視交叉上核、SCN)でその発現に日周リズムが認められ、SCN Circadian Oscillatory Protein (SCOP)と名付けた蛋白質を研究室の清水貴美子さんが見つけましたが、最近、清水さんが東大の深田吉孝教授のもとで、このSCOP蛋白質が記憶に需要な役割を果たすことを明らかにしたことを大変嬉しく思っております。所長時代はタンパク3000プロジェクトの一環として励むべき、ご指示を頂きました。筋肉で合成され運動により放出されるL-carnosine (β-alanyl-L-histidine)が自律神経活動の制御を介して血圧や血糖を低下させる効果があることを見出しておりましたが、その新たなる分解酵素carnosinase 2をマウスでクローニングして抗体を作製し染色するとラットの視床下部のヒスタミンニューロンにヒスタミン合成酵素と共存することを認めて、カルノシンがヒスタミンの前駆体であることを示すことが出来ました。その後奥村准教授らが大腸菌でこの酵素を発現させて、X線結晶解析部門の楠木正巳先生らのグループと結晶化し、構造解析でその酵素の触媒メカニズムの解明に成功致しました。

蛋白研では部門間のスポーツ対抗戦も盛んで、御子柴研におられて慶応に移られた岡野栄之先生はテニスでのパワープレーで有名でしたが、慶応に帰られてそのパワープレーならぬパワーリサーチでご活躍されていることを大変嬉しく存じます。もうお一人、本日ご講演頂いたソウル大学のリー・ボンジン教授も京極研での院生の時代にバレーボールのエースアタッカーとして活躍された姿が印象的でそのパワーをご研究の力に変えられたものかと思われます。

手前勝手なことばかりお話しましたが、50年前に蛋白研で研究を開始した当時は、自分たちが見つけた蛋白質を結晶化して、その結晶構造の解析からカルノシナーゼ2の蛋白質の二量体が触媒部位を構成し、そこに阻害剤が入り込むと水分子が接触できないという、加水分解酵素の阻害メカニズムをも明らかにする研究にまで繋げられるとは思っておりませんでした。それは蛋白研に最新の装置や技術がある以外にheterogenous な知識、アイディアとヒントが溢れていたからこそ、可能であったと思っております。

蛋白研には常に時代の先端を切る装置と技術があり、小生が院生として研究を始めた頃は、日本に数台しかなかったSpincoという超遠心機を使いに来られる共同研究員が居られたようです。蛋白質研究所は最先端の機器と技術を持つと共にヘテロな分野の研究者の集積による知識、アイディア、ヒントが溢れている場所だと思っております。最近の事情をお聞きしました所、研究費が十分でなくて、各部門の先生方は大変ご苦労をなさっておられるようです。しかしながら、現在の教職員の皆様には、赤堀先生が60年前に生命科学における蛋白質の研究を発展させるべく、Chemistry, Biology、Physicsの分野の研究者を集めて作られた研究所の意義を新たに振り返って頂き、トランプ大統領のように蛸壺にこもらずに、大いに議論をして蛋白質の研究を発展させて頂きたく存じます。その故に、蛋白質研究所での研究の更なる発展のために中川敦史所長の強力なリーダーシップの元に研究室間の活発な議論にのっとり、heterogenousな研究者の議論の中からの知識、アイディア、ヒントを最大限に利用して、現在の教職員が一丸となって赤堀先生の作られたこの研究の場から苦労を乗り越えて新たな研究の地平を切り開かれんことをお祈りして祝辞に代えさせていただきたいと存じます。